MY HOSEI MEMORIAL

 法政大学学生会館  

58年館から見た学生会館全景 昭和52年(1977)10月撮影

法政大学学生会館は昭和48年(1973)に着工され、翌49年(1974)1月の暫定使用開始を経て学生の自主管理によって運営されてきました。しかしさまざな事情や経年劣化、キャンパス全体の構築見直しによって平成16年(2004)に解体され、いまでは跡地に教室やコンビニなどが入った「外濠校舎」が建っています。また学生会館の飯田橋寄りにあった場所も法大の校地となり、今ではさらに校舎やキャンパスが拡大して学館のあたりのイメージはすっかり変貌しています。

学館の建設経緯や運営などを記した冊子「法政大学学生会館 自主管理への招待‥‥」表紙

私は当時学団連の某サークルに所属しており、もちろん学館に部室(BOX)も持っていましたが、どうも先輩の話では他のいくつかのサークルとの合同使用となっており、あまり使われていないとのことでした。活動もほぼ学生ホールでしていましたのでほとんど学館自体を使用したことはありませんでした。したがって私のカメラには学館を撮影した記録はほとんど残っていません。外部についてはキャンパスのスナップでけっこう登場しますので、その時のものをアップできる程度です。コンクリートむき出しの幾何学的な建物は他の校舎とは大きくことなった異色のものでしたね。

ホール棟と部室棟は一体の建造物ではなく、それぞれが独立した建物だったのですが、55・58年館方向からのアングルでは複雑な形をした構造物のようにみえました。こちらは昭和52年(1977)撮影

新見附橋からながめた学館の全景。55・58年館に比べてもまけない大きさだということがわかります。昭和53年(1978)撮影

※現在学生会館の跡地には外濠校舎などが建っている

「学館冊子」の裏表紙と掲載されていた大ホールの写真

「学生会館大ホール」は規模はそれほど大きなものではありませんでしたが、当時の音響技術や機器はかなり優秀なものだったと思います。ここで多くの学生たちが音楽発表や舞台などに立ち、また学祭ではコンサートなどが開かれていました。


おまけ 当時の雑誌より

この記事は雑誌「平凡パンチ」(廃刊)の「われら大学」4というもので、文中に「‥‥8月完成予定の学生会館」の文字があるので昭和48年(1973)頃の発売号だと思われます。入学前なのになぜこの記事をとっておいたのか‥‥。当時は若者の情報発信として同誌やプレイボーイなどによく大学の記事が載っていましたね。

文章がやや読みにくいですが、当時の世相や学生の様子などが書かれています

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