正門から55・58年館前の広場というかコンクリートのスペースがいわゆる「市ヶ谷キャンパス」の中心というようなところでした。とはいっても猫の額ほどの広さで花壇などの緑もわずか、そして一年中あちこちに掲げられた立て看板など、およそ学生が憩うという雰囲気ではありませんでした。しかしながら正門から館内に入り、そして移動や帰路につくときもここは必ず通る場所であり、それなりに友人としゃべったりした懐かしい場所でした。ボアソナードタワーが建設される頃にはかなり地盤も整備され、緑やベンチなども増えて門に続く柵も外されたので見違える様な明るいイメージに変わりましたが、今回の大きな工事によりまたその姿を変えていきつつあります。
1973年頃に雑誌「平凡パンチ」の「東京六大学周辺詳細タウンガイド」という記事に掲載されていた。法政大学の紹介。「学生運動のメッカ」などとさすが当時を思わせる。確かに当時は立て看板の立っていないキャンパスの姿は稀であった。
イラストマップを見ていると50数年を経て今も学生たちが行き交う店もあるのだろうか。個人的に懐かしい名前は喫茶「サボイア(サヴォイア?)」「珈琲館」「佳作座」「ニューアサクサ」ぐらいだろうか。このイラストにはサークルの溜まり場として活用していた元キャバレーの喫茶「軽い心」やその上の階の「ハッピージャック」(パブで酒飲みはこっちへ)などは残念ながら掲載されていない。
学生案内に付属していた航空写真より。昭和40年代後半の撮影だと思われる。学生会館は見えるが、まだ体育館はない。左下に緑の大きな敷地があり一見キャンパスに見えるが、これは道路を隔ててあった靖国神社の相撲場である。62年館と69年館もわかるが周囲に埋没してるかのよう。