さようなら法政大学55・58年館

キャンパスの風景 その1

学生の声が響く春の法政大学市ヶ谷キャンパス  昭和53年(1978)4月撮影

55・58年館改築工事が始まる前のすっきりとしたキャンパス  平成25年(2013)3月撮影

正門から55・58年館前の広場というかコンクリートのスペースがいわゆる「市ヶ谷キャンパス」の中心というようなところでした。とはいっても猫の額ほどの広さで花壇などの緑もわずか、そして一年中あちこちに掲げられた立て看板など、およそ学生が憩うという雰囲気ではありませんでした。しかしながら正門から館内に入り、そして移動や帰路につくときもここは必ず通る場所であり、それなりに友人としゃべったりした懐かしい場所でした。ボアソナードタワーが建設される頃にはかなり地盤も整備され、緑やベンチなども増えて門に続く柵も外されたので見違える様な明るいイメージに変わりましたが、今回の大きな工事によりまたその姿を変えていきつつあります。  


ごく普通の日常の登校風景 門の両側の高い壁が当時を物語る 昭和51 年(1976)7月撮影

1973年頃に雑誌「平凡パンチ」の「東京六大学周辺詳細タウンガイド」という記事に掲載されていた。法政大学の紹介。「学生運動のメッカ」などとさすが当時を思わせる。確かに当時は立て看板の立っていないキャンパスの姿は稀であった。

 
記事の全体とイラストマップの拡大 今は行きつけの店などもすっかり変わっていることだろう

イラストマップを見ていると50数年を経て今も学生たちが行き交う店もあるのだろうか。個人的に懐かしい名前は喫茶「サボイア(サヴォイア?)」「珈琲館」「佳作座」「ニューアサクサ」ぐらいだろうか。このイラストにはサークルの溜まり場として活用していた元キャバレーの喫茶「軽い心」やその上の階の「ハッピージャック」(パブで酒飲みはこっちへ)などは残念ながら掲載されていない。

「軽い心」のマッチ ここで先輩たちとよく話し合ったものでした
夜の神楽坂方向を飯田橋から見ると「軽い心」のネオンサインが輝いていた。六大学野球優勝の「ちょうちん行列」でのスナップ
同地点の比較 1976年と2014年

学生案内に付属していた航空写真より。昭和40年代後半の撮影だと思われる。学生会館は見えるが、まだ体育館はない。左下に緑の大きな敷地があり一見キャンパスに見えるが、これは道路を隔ててあった靖国神社の相撲場である。62年館と69年館もわかるが周囲に埋没してるかのよう。                                                    


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