MY HOSEI MEMORIAL

さようなら法政大学55・58年館

法政大学55・58年館 全景 昭和51年(1976)7月撮影

私の一番のお気に入りで「これぞ法政大学!」という全景写真がこれです。53年館(大学院)を右に従えた55・58年館の堂々たる姿、53年館右手の第二58年館が入っていればさらに完璧な姿に見えるのですが当時の私の力ではパノラマ写真のようにはいきませんでした。 この写真はおそらく外堀通りから撮影したものだと思うのですが、現在これと同じアングルからの撮影は難しくなっています。もちろんボアソナードタワーの高さ、というのもあるのですが、もしかしたらどこかの建物から望遠レンズで撮ったものだったのかもしれません。この均整のとれた堂々とした構えはモノクロームのフィルムでも十二分に感じることができます。


なんとか同じアングルでみた現在(新校舎の工事開始前…2014年撮影)の全景です。右手の巨大なボアソナードタワーの存在に圧倒されます。なお今はもうこの姿も見られなくなってしまいました。

同じ様に現在全景を画面に入れる(ボアソナードタワーも)とすると、このように広角でおさめることになります。かなりカメラをひかないと高層ビルであるタワーは収まらないですね。


青春時代を過ごした我が法政大学の本校舎、そのなかでも代表される建物だった55・58年館が新校舎建て替えのため、役目を終えて解体される方針で進んでいるそうです。すでにボアソナードタワーの建設時には大学院棟であった53年館と手前の第二58年館は解体されて現存しません。 当面は道路側の校舎の新築工事が先なのですぐに解体が始まることはないようですが、すでに 正門寄りには工事用の塀が建てられ、大型クレーンを使っての工事も本格化したため55・58年館校舎の全景を正門方向から眺めることは不可能になってしまいました。
外濠の桜とともにあった校舎もまもなく思い出の風景になる 2015年4月撮影

大学のキャンパスというと古い歴史を持つところはおおむね古い建築様式の校舎がありそれが現役で またその大学のランドマークになるような立派な講堂など由緒ある建造物もあることが多いのですが、我が母校ではこれぞ「法政大学」というような建築物は戦災でほとんど焼失してしまい(旧図書館であった第一校舎はしばらく残っていましたが)、その外濠の土手の上の狭い敷地には戦後しばらくした昭和28年(1953)頃から近代的な校舎が建設されてきました。その姿は「ホテルのようだ」とか「デパートなのか」とか「航空母艦のような偉容だ」とかなかば揶揄されるような表現をされることが多く、大学の校舎としてはどうなのか?と言われる面もあったようです。 しかしこの大江宏氏設計の校舎群は当時としては斬新なデザインであるとともに随所に特徴的な意匠を施した名建築としても評価されており、近代においての貴重な建築遺産にもなるべきものではないかとも言われています。保存計画などもあったようですが現状はすでに解体されつつあります。日に日に変わってゆくこの校舎への思い出はつきないものがあり、過去のフィルムを取り出してここにわずかながら記録を残しておきたいと思います。
ゲート棟が完成し、新しい「法政大学」の顔になりつつある 平成28年(2016)9月撮影
平成29年(2017)11月撮影

中央線の新型特急E353系も加わった現在の全景 平成30年(2018)12月撮影

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