さようなら法政大学55・58年館

 新旧の姿 

現在の正門に掲げられている「法政大学」の表札

法政大学の校舎を望むいくつかのアングル、また校舎から見た周りの風景の変化をできるだけ過去の画像に合わせて撮影してみました。時の流れを感じさせるもの、あるいは変わらずにあるものなどさまざまな情景が浮かび上がってきます。


※現在の姿は改築工事の進捗により、掲載写真の撮影時とはさらに異なっている場合があります。

 遠景 

ボアソナードタワーを正面にした現在の法政大学の遠景 中央総武緩行線などの電車が走る

新見附橋からさらに市ヶ谷駅寄りから本校を望む場所がこのあたりです。現在ではボアソナードタワーをバックに外濠に沿って走る中央・総武緩行線の電車、その10両全編成を入れるとなるとこのような壮大なアングルとなりました。ちょうど中央線の電車も同時に写りましたので帯のように長い編成が出現しました。桜の季節には多くの鉄道ファンがこの光景を撮影にやってくるビュースポットにもなっています。平成26年(2014)3月撮影。

ほぼ同方向から見た全景 昭和49年(1974)12月撮影

こちらは2014年から約40年前のほぼ同じ場所から撮影した昭和49年(1974)のものです。ボアソナードタワーの右手の二つ前、「京二」ビルが変わらずの位置にあるので比較出来ます。かつてはその右手のビルも合わせてかなり目立っていたのですが、現在は周りにそれ以上の建築物がたっており、すっかり隠れてしまっています。中央線を走る列車は房総方面乗り入れのディーゼル急行で、当時は非電化だった総武本線からのものが新宿発着として残っており、1日5〜6往復ありました。この画像はそのうちの一本です。


※以下の画像は「旧」・「新」の順に表示いたします。風景の変貌はこのようになりました。

 校舎を望む 

昭和53年(1978)10月撮影
平成27年(2015)10月撮影

市ヶ谷方向からは正門より裏門の方が近いので、主に市ヶ谷駅を利用していた学生はこのアングルから法政を見てキャンパスへ入っていました。波打つアーチの屋根が特徴の第二58年館はあまり馴染みがありませんでしたがこのアングルから見ると意外と大きかったのがわかります。今はこのあたりは開放的になり、ボアソナードタワーがそびえたつ法政のランドマークの一部となっています。右横に立つ学生の数もちょうど三人、ファッションの違いはあるでしょうか?

昭和53年(1978)11月撮影

校舎から「法政大学」を示すものはいくつかありますが、一番目立つのはやはりボアソナードタワーの上層にあるものでしょうか。かつてここにあった53年館の上部にもアルファベットの「HOSEI」文字が表示されており、これが「デパートの看板か」などど言われたネオンサインでした。(もっとも在学中に点灯していたのを見たことはなく、すでにその機能はなかったのかもしれません)またこの文字は「HOSEI UNIVERSITY GRADUATE SCHOOL」であり、正確には「法政大学 大学院」を表しており、この校舎(53年館)単体の表示であったのかもしれません。

平成28年(2016)11月撮影

昭和51年(1976)7月撮影

新見附橋の外濠通り側からみた全景も大きく変わりました。「旧」画像は昭和51年(1976)のもので、この頃は橋の手前側には大きな木があまりなく、校舎をバックに中央・総武線の列車を撮影することが可能でしたが、今はシュロの木などが成長して視界を遮ってしまっています。同位置に近い「新」の画像はまだゲート棟などが工事中の平成27年(2015)10月のものですが、現在の姿にしても55・58年館の奥行きのある姿からは全く別のイメージの外観になっています。

平成27年(2015)10月撮影

 全景 正門 キャンパス 

昭和53年(1978)11月撮影

外濠通りからの全景。角度がやや違うので比較にはなりませんが、かつては「土手の上にそびえ立つ」といった雄大な光景だったのが、近代的で幾何学的な構成となってせりだし、奥行きが感じられない風景に変わってしまいました。見方によればこれもまた美しい姿なのかもしれませんが‥‥。

平成28年(2016)9月撮影

昭和53年(1978)10月撮影

2016年夏に完成した正門付近(ゲート棟)は法政大学の正面のイメージを一新しました。 かつての道路に面して広場がありその奥に58年館の張り出し部分と55・58年館の偉容が展開しており、正門からの空間はそれなりにキャンパスの広場として活用されていましたが、2016年に使用開始したゲート棟を含む正門の空間は道路に覆い被さるような圧迫感も感じさせるものになってしまったようです。そして今後は残った55・58年館本体も数年かけて解体されゲート棟との間に新しい「キャンパス」が出現するのでしょう。

平成28年(2016)11月撮影

昭和53年(1978)4月撮影

ほぼ55年館部分の全景。数十年たってもこの外観の美しさは変化がほとんどありません。ボアソナードタワーの部分をカットして見上げればほとんど変わっていない感じがします。この光景も数年後には見られなくなるのです。

平成26年(2014)11月撮影

511教室の跡に建てられた「大内山校舎」はかつての55・58年館を思わせる格子状の壁面もデザインされている。

昭和53年(1978)10月撮影

55年館屋上からの夕景です。眼下に53年館と第二58年館があり、その向こうに外濠と遠く新宿のビル群などが見えます。この時富士山も夕陽に輝いて見えていたはずですが、残念ながら記録には残っていません。高いところといえば現在のボアソナードタワーの26階の展望ルームですが、あまりに高くて当然同じアングルからの視界は望めません。この画像はそれに加えてややカメラの位置が違うので比較にはあまりなりませんが、6棟ぐらいしか見えていなかった高層ビル群の数もずっと増えました。無論まわりにさえぎる高層ビルがほとんどないのでこの見晴らしは見事なものです。法政大学からのあたらしいビューポイントになっていくことでしょう。

平成25年(2013)9月撮影

 校歌とともに 

平成25年(2013)9月撮影

校歌に歌われたように、空気が澄んだ晴れた日にはスカイホールから遠く富士山が見えます。昔も今も法政大学の学び舎から富士の姿は変わらずに眺められているのです。

「見はるかす窓の 富士が峰の雪」


平成25年(2013)9月撮影
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