キャンパスの風景 その2

03と05(その1)では校舎の裏側の大内山あたりを紹介しましたが、今度は正門側(表)の姿と教室の記録です。

秋の夕暮れ時のキャンパス、夕陽に染まった58年館と第一校舎 昭和53年(1978)10月

第一校舎(図書館)側から撮った58年館とキャンパスの情景。半円形のカーブを描く屋根は大江宏設計の建築物によく見られた特徴だった。昭和53年(1978)5月
うっすらと雪化粧した閑散とした冬の風景 昭和54年(1979)1月
逆に55・58年館の上層部から第一校舎側を見た光景、学生会館のかなりの大きさが目立つ。外濠を背後に控えた空間である広場(キャンパス)は狭いなりに明るい印象を持っていた。昭和53年(1978)10月
同じアングルからはすでに望めなくなっていた数年前の地上から見上げた光景。すでに大改築の準備のためフェンスなどが設けられてもはやキャンパスとは呼べなくなっていた。 2014年5月

 講義の風景 

「講義の風景なんて撮れるのだろうか…」と思いながら授業中にこっそり撮影したのがこれ。 こんなことばかりやっていたのだから成績は言わずと知れたものでした。無論大教室だから出来た事ですね。ここはおそらく58年館から出っ張った835号教室だと思います。(モノクロも)撮影にしてもデジカメもスマホももちろんない時代ですのでコンパクトカメラか一眼レフを使ったわけですが、思えば大胆なことをしたものです。(上)昭和52年(1977)10月・(下)昭和51年(1976)7月


 大教室 

階段型の大教室は55・58年館の三階と四階に4室ずつ(531・532・833・844、541・542・843・844)、そして3階に出っ張ったもうひとつの大教室(58年館側)が835、55年館側の南側が511と付番されているのでした。人気のない大教室の風景をいつか写しておこうと撮ったものがこれです。昭和52年(1977)10月

教室の番号について
この55・58年館の出っ張った835教室は、場所的にも教室番号の割り振りにしても511教室、920教室(69年館)とともに大教室の中では異端な存在でした。いまでも(改築前)まだ同じようですが、55・58年館の教室番号の振り方は独特なものがありました。建物自体は連結していて同じつくりなのですが、三桁の教室番号のうち、百位が55年館なら「5」、58年館なら「8」(同じ様に62年館も「2」、69年館も「9」)で、十位が階数、一位が55年館寄りから1・2…となっていました。そのため三階(大教室が四室…835を除く)の場合、531・532・833・834となり、「800も部屋があるのか!」と最初は驚いたものでした。5階は中教室が8部屋で551ー858、6・7階は中・小教室が複数あり、一部は更に壁で仕切って細分類してありました。(例:865を分割して865と866に、868を分割して868A・868Bに)そのため教室数が9を越えてしまったので、6・7階の最後の部屋は「0」を付して860・870になっていました。これらの大教室は座席など一部はリニューアルされていますが、全体的には2018年もまだ健在でほぼ同じ形で残っていました。もちろん現在はすべて消えてしまいましたが‥‥。


新歓で賑わうキャンパス 昭和50年(1975)4月

このキャンパスが一番賑わうのが4月の新歓と秋の「法政祭」の時期でした。学生たちがそれぞれに趣向を凝らしたスペースで新入生を勧誘したり、模擬店などを出したりするのはどこの大学でも良く見られた光景ですが、ここ法政では場所が限られていることでさらに人手が強調されて賑やかさがあふれていたように思えます。(法政祭については別項で紹介の予定です)


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